週末の外来で、検査結果を教えてもらう。
葵の間は、大正3年に移築された時、傷んだ部分を除いて建て直したため、一回り小さくなってしまったそうだ。床柱の接いである部分や、障子の桟の様子を見ると、なるほどと納得。 壁、天井にある二葉葵の装飾は、この移築の際に施されたものらしい。
温恭院の宝塔の向こうにはたくさん実った柿の木が、天璋院の宝塔の両側には枇杷の木が植えられていた。宝塔はほぼおなじ高さ、同じ大きさ。(温恭院、天璋院の宝塔を公開したのは昨年からだそうだ)
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