見えない汚れ

見えない汚れが、一度心にこびりついたら、どんなに理屈でわかっていても、気になる。歯ブラシも、布団も、温水洗浄便座も、食べ残しの鍋戻しも、どれも気にしなければ問題なく暮らしていけることばかり。「汚れているのかも」の先に「誰のなら」問題があるような気がする。「よく知らないから」はまあわかるとして、不思議なのは「親しいし、好きだけど、共有はイヤ」という線引き。付き合いたての恋人は何でも一緒でOKでも、夫婦になってからは線を引いたりする。これたぶん、肉の邂逅を通じて魂が親しんでしまうと、再び肉は他者になると言うことでは。つまりはそれぐらいが、長くやっていくには適正な距離感なのかもしれない。